南アイスランド徹底G-1
★ソゥルヘイマール(ミールダルール) Sólheimar in Mýrdalur
ミールダルール地区(Mýrdalur)で最も西にあるファーム。初期のヴァイキング定住者"老人ロズムンドゥル"が居住した地。ソゥルへイマヨークトル氷河の南西に流れ出る舌氷河部分にあることからこの名がついた。
★ソゥルヘイマール(グリームスネス) Sólheimar in Grímsnes
グリームスネス郡で唯一の村落で郡の人口は377人だがそのおよそ3分の1に当る100人ばかりがソゥルへイマールに住んでいる。そのうちのほぼ半分の42人が障害者だ。
ソゥルへイマールは産業活動を行うに当り独立した存在として登録され、認められていて、この村には少なくとも5つの事業と4つの作業所が運営されている。ここでは有機栽培が実施されているが恐らく北欧諸国の中でこの試みがなされた初のケースとなった。セッセリア・クレインジス・シムンズスドゥティル婦人(1902−1974)は1930年7月5日に保育所をこの地に創立、後に身体障害者のサービスセンターをも立ち上げた。同夫人はアイスランドにあってこの分野におけるパイオニアとしてのみならず健常者と障害者との共存/共生の概念を全世界にもたらしたことで知られている。
ソゥルへイマールは1997年4月、「グローバル・エコヴィレッジ・ネットワーク(世界環境保全型農村のネットワーク)Global Ecovillage Network = GEN http://gen.ecovillage.org/index.html 」のメンバーとして宣言、アイスランド国内で継続的に排他的に持続可能な初の村落となった。ソゥルへイマールでは、アートセンターを兼ねるショップ・ヴァーラ、3つの託児所を有するオゥルル、園芸センタースンナ、ロウソク工場、楽器製作所、玩具製作所、織物工場、工芸センター、スポーツ&演劇ホール、宿泊施設としてゲストハウス・ブレックコゥト、屋外スイミングプールなど数々のビジネスや企業が存在している。もちろん、その原点のひとつである障害者や青少年のための施設「ソゥルへイマール・ホーム」も。
ソゥルへイマールのトータルの農地面積は250ヘクタール。そのうち37ヘクタールがコミュニテイの建物や居住地域となっている。そして、およそ150ヘクタールが森林地や営林のためのスペース。
★ショゥスアゥ Þjórsá
アイスランド最長の河川で、その水源は高地内陸部のスプレンギサンドゥルのベルクヴァスクヴィスル。この支流はホフスヨークトル氷河を過ぎる辺りから広大なショゥルスアゥヴェル湿地帯に流れ込み、大河のもとを生み出している。この湿地帯は自然保護区で、桃色足ガンの世界最大の繁殖地となっている。全長230km、7,530kuの流域を流出する。この河には、ブールフェットル、シガルダそしてフロインエイヤルフォスの3つの水力発電所がある。
★ショゥスアゥダールル Þjórsárdalur
大河ショゥルスアゥの渓谷で、うっそうと生い茂るカバの木の森、砂溶岩の原野、沢山の川や滝の織りなす鋭いコントラストに目を奪われる。ギャゥインは一風変わった山峡で、無数の湧水、奇形奇岩、小さいが興味惹かれる滝ギャゥルフォスが見どころ。渓谷の中には、1104年のヘックラ火山の噴火で埋没したストィンクの廃墟跡を参考にしたサガ時代の農場が復元されている。
ヴァイキングの家屋や農場をそっくりそのまま復元した。復元された農場は自治国家農場と呼称され、恐らく中世アイスランドの住居としては最も忠実なものと云える。
★ストインク Stöng
1104年のヘックラ火山の噴火により廃墟化、ヴァイキングの家屋をそっくりそのまま復元したサガ時代の農場が見学できる。ショゥルスアゥダールル渓谷にある。
初期の定住者は農場として肥沃なショゥルスアゥダールル渓谷を選んだ。しかし、彼等は渓谷の南に聳える穏やかそうな雪を被った山が活火山であることには気付いていなかった。1104年この静かな山ヘックラが大規模な噴火を起こし、定住地周辺は大量の火山灰や岩石の破片によって埋め尽くされた。1939年に北欧の考古学者がストイングを発掘し、埋もれ廃墟化されていたサガ時代の農場を発見した。この発見によってヴァイキング特有の長屋に関するデザインや建築様式、12世紀までの発展状況そして自治国家時代についての貴重な情報が入手された。
アイスランド定住1100年を記念する1974年、建築家と歴史家のチームがデータを総合し、渓谷から2〜3kmのスケリャスタジルのストイングに細部に拘りながらヴァイキングの家屋や農場を忠実に復元した。復元された農場は自治国家農場と呼称され、恐らく中世アイスランドの住居としては最も忠実なものとされている。
★ハゥイフォス Háifoss
「高い滝」を意味するだけにアイスランドで2番目に高さ。122mある。フォッサゥルダルール渓谷を流れるフォスアゥ川にある。溶岩原から122mの滝底に流れ落ちる様はまさに勇壮。
★ヒャルパルフォス Hjalparfoss
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「お助け滝」を意味する。13mの高さで小さい滝だが華麗。アイスランド最長の大河ショゥスアゥの支流フォスアゥ川にある。 滝のある周辺地域は古くからヘルプを意味するヒャルプと呼ばれているが、昔のこと、ヴァトナヨークトルとホフツヨークトル二つの氷河の間を通る内陸ハイランドロード、スプレンギサンドゥルを馬で旅した旅人が長く辛い不毛の地の旅の途中に、馬を休ませ、一息つけるオアシスとして格好の場であったことに他ならない。実際、水が豊富で緑溢れる一帯だ。この辺りはショゥスアゥダールル渓谷の中ではどこでも同じだが、滝そのものはもちろん火山灰痕などに、かつての度重なるヘックラ火山噴火の痕跡がはっきり見て取られる。ショゥスアゥ河には1969年に建設された水力発電所があるが滝はその反対側にある。
★ヘックラ火山 Hekla
レイキャヴィークから東へ120Kmの位置に聳える世界でも最も有名な火山のひとつ。標高1491メートル、その山稜の長さは約40qに達する。
地質学者によればヘックラは6千〜7年前に誕生し活火山としての活動は今後ほぼ10万年は続くという。過去7千年の間にヘックラは5回の大割れ目噴火を起こしている。最大規模のものは4000年前と2800年前の噴火で、北部と北西部の土壌の中に往時の痕跡が残っている。特に2800年前の噴火では国土のほぼ80%が火山灰で覆い尽くされ、その量は約12立方qという膨大なものだった。その痕跡は遥か離れたスカンジナビア諸国の随所でも見つけられている。
ショゥルスアゥルダールル渓谷の居住地やもっと内陸よりの地域を含む広範囲を壊滅させた1104年の有史(記録に残っている)最初の大噴火以来、ヘックラは少なくとも20回も噴火し、加えて、ヘックラの山附近でもおよそ25回の小さな噴火を繰り返し、近郊の村落に計り知れないほど多大なる損害を与え続けてきた。ヘックラ火山と黄金の滝グトルフォスの間にはこの大噴火で廃墟と化した中世の農場の遺跡が発掘されており、火山と考古学に関心のある人にとっては興味深い所だ。
14世紀(1300年)の噴火は山をふたつに割るほど大きなもので、噴火の轟き音はアイスランドの北部地帯でも聞こえ、柱状噴出や火山灰で辺りは真っ暗になったと記録にはある。多くのファームは崩壊し、凶作で多くの人々を死に至らしめた飢饉がその後続くことになる。この噴火は丸1年続いた。1510年の噴火では、とんでもなく遠方まで噴出物を飛び放ち、45kmも離れたところまで重い岩石が飛び散り、周辺に致命的な災害をもたらしている。
1510年の噴火では、とんでもなく遠方まで噴出物を飛び放ち、45kmも離れたところまで重い岩石が飛び散り、周辺に致命的な災害をもたらしている。1693年の大噴火の際には一気に14のクレーターが同時に噴火し、50のファームを壊滅状態にした。1766年には更に大きな噴火が発生し、何度かの小休止があったものの2年間も噴火し続け、このときは18ものクレーターが同時に噴火している。1845年の噴火は7ヶ月続いている。
1693年の大噴火の際には一気に14のクレーターが同時に噴火し、50のファームを壊滅状態にした。1766年には更に大きな噴火が発生し、何度かの小休止があったものの2年間も噴火し続け、このときは18ものクレーターが同時に噴火している。1845年の噴火は7ヶ月続いている。
1947年3月の噴火では、その始まりごろには噴火煙が上空30,000mまで達したほどで、溶岩流は40㎢を覆い尽くした。この時の噴火は13か月も続くものだった。この噴火では柱状噴流が30kmの高さまで達し、40平方kmの広さの土地を被い尽くすほど大量のおよそ1立方kmのテフラ(火砕物)を産出している。1970年の噴火は小規模なものだったが、中央高原地帯の牧草地に甚大なる被害を与え、フッ化物中毒ももたらしている。1991年5月には、ヘックラの無数の小クレーターが噴火し、2ヶ月もの間溶岩を流出し続けた。ヘックラ火山のその後の噴火は,1980年、1981年、1991年、2000年と続く。
最近では2001年2月26日18時頃に始まった噴火。同日の夜半には、山頂に沿って6−7キロの亀裂が走リ、円柱状になった水蒸気(柱状噴流)が高度15キロの高さまで立ち込め、火山灰はアイスランドで最も北に位置するグリームスエイにまで達していることが確認された。活動のピークは1時間ほどであったが、噴火はその後も継続し、溶岩はクレーターから流出し、一本の荘厳な真っ赤な川となって東側の斜面を流れ落ち、噴火後1時間を経たころには溶岩流は周辺の低地帯に達し、かなり大量の溶岩が産出された。
この噴火はその当初は1991年の噴火に極めて似た活動状況を示しているかに見えたが、噴火が始まった翌日にも割れ目の南東寄りの部分は活発に噴火し、溶岩を流出し続け、その支流のひとつは南西にまで流れ出た。溶岩は幅の広い川状になって1970年の噴火で創出された溶岩原スキョルクヴィアルSkjölkviarの方向にある北西の段部に向かって流れ出た。噴火開始日、柱状噴流は北に向かっていたが、翌日にはミールダルスヨークトル氷河を越えて南南東に向かって海にまで運ばれた。噴火3日目になっても、噴火のエネルギーは最高時の95%のパワーを維持していた。その後、噴火による柱状噴流は南東寄りに延び、細かな粉塵状の火山灰は北西部のヴァトンスネス半島のスヴァルヴァルズSvalbarðでも認められている。この噴火は公式には同年の3月8日に終焉した。
噴火の翌日2月27日に上空を飛行した沿岸警備隊員により、新たに生まれた熔岩は最長で3−4キロの長さで周辺を覆ったことが確認された。ヘックラ山は申すべくもなくアイスランドで最も知られている火山だ。火山学者は活動が開始する前に−しかも30分以上もの充分な余裕をもって−噴火の警告をした初めてのケースとなった。過去十数回の噴火を繰り返し、近年においても1970年以降にほぼ10年おきに3回(1970、1980,1991)も噴火した。しかし、これらの3回の噴火かなり規模も小さいもの。ほぼ周期通りに9年ぶりのものとなる今回の噴火も活動は継続するものの規模的には小さいと観測されている。
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昔からヨーロッパの世界では、地球には地獄への入り口がふたつあり、ヘックラはそのひとつだと信じられてきた。火山にまつわっては多くの突飛で恐ろしく、怖い言い伝えが残っており、この所為でこのヘックラには誰も登ろうとはしなかった。この山への登頂が2人の植物学者によってはじめて試みられたのは1750年のこと。彼らは伝説にあるような地獄への入り口などもちろん発見できず、その後は多くの人々が登頂するようになった。ヘックラへ登頂する一番楽なルートは山の北側からのもので、晴れた日、頂上付近からの眺望は唯々信じがたいほどの素晴らしさだ。
1947年3月の噴火では、その始まりごろには噴火煙が上空30,000mまで達したほどで、溶岩流は40㎢を覆い尽くした。この時の噴火は13か月も続くものだった。1991年5月には、ヘクラの無数の小クレーターが噴火し、2ヶ月もの間溶岩を流出し続けた。ヘクラ火山のその後の噴火は,1980年、1981年、1991年、2000年と続く。
最近では2001年2月26日18時頃に始まった噴火。同日の夜半には、山頂に沿って6−7キロの亀裂が走リ、円柱状になった水蒸気が15キロの高さまで立ち込め、火山灰はアイスランドで最も北に位置するグリームスエイにまで達していることが確認された。活動のピークは1時間ほどであったが、噴火はその後も継続し、熔岩一本の荘厳な川となって活動しクレーターから東向か流れた。翌2月27日に上空を飛行した沿岸警備隊員により、新たに生まれた熔岩は最長で3−4キロの長さで周辺を覆ったことが確認された。ヘックラ山は申すべくもなくアイスランドで最も知られている火山だ。科学者が活動が開始する前に−しかも30分以上もの充分な余裕をもって−噴火の警告をした初めて� ��ケースとなった。過去十数回の噴火を繰り返し、近年においても1970年以降にほぼ10年おきに3回(1970、1980,1991)も噴火した。しかし、これらの3回の噴火かなり規模も小さいもの。ほぼ周期通りに9年ぶりのものとなる今回の噴火も活動は継続するものの規模的には小さいと観測されている。
★ランドマンナロイガル Landmannalaugar
内陸部に入ったフィヤットラバク自然保護区にあり、まさに活発に活動している地熱地帯。含有する鉱物により黄金色、緑そして深紅など色鮮やかな山並みに囲まれたオアシス。多くの温泉と冷たい湧き水が混じりあって温かい温泉川をなしている。丁度良い湯加減の温度であるため、露天風呂も楽しめる。温泉川の土手は湿地状態で水面の上昇を抑える緩衝緑地帯となってここへの踏み込みは禁止されていて、温泉を楽しむ時には板道を通ってプールに入る事。また、温泉川(プール)での石鹸の使用は禁止されているので注意。海抜が600mを超えているものの、川の土手は草花で覆われている(夏季)。トレッキングにも最適。
ランドマンナロイガルはカラフルな流紋岩の山々に囲まれキャンプ施設があって、アイスランド・ツーリングクラブが運営するハットがあり、スリーピングバッグ用の宿泊施設もある。キャンプ場の中にあり、トイレ、シャワー施設、温泉ポット、BBQ用クッキング施設が整っている快適な山小屋、マウンテンハットはここの名物温泉川とは目と鼻の先。マウンテンハットのある側は高く急斜面のロイガフロイン溶岩原。溶岩面はギザギザとして鋭いが、迷路のように入り組んだ小道になって散歩道になっているので時間の余裕があればハイキングを兼ねて歩いてみたい。遠くから見ると溶岩は黒く見えるが近づいて見ればその幾つかは鮮やかな濃い� �ルーカラーを呈している。これは天然のガラスとも云われる黒曜石。溶岩に大きな割れ目を見かけるが雨で濡れているときなどはかなり危険。溶岩原からは熱い温泉が流れていて、冷たい川水と混じってちょうどいい湯加減の温泉川となっている。天然の温泉川として近年すっかり知られる存在となっているので水着着用で是非トライを。ランドマンナロイガルは人の土地の温泉を意味する。
写真提供:東京都在住、岩井早矢香さん2005年7月撮影)
★エルドギャゥ Eldgjá
「火の山峡」を意味する、息をのむような光景に出会える長い噴火による割れ目(亀裂)。断層のすぐ南に位置する標高812mの凝灰岩の山ヘルズブレイズ(Herðbreið)からエルドギャゥの眺望は絶景。割れ目ギャゥの主要部分は北の一帯で、中心部は道を挟んで反対側の一帯となる。エルドギャゥは935年に噴火が始まり3−8年続いた噴火割れ目で、19.6立方`もの大量の溶岩を流出させた。有史以来世界最大の玄武岩質溶岩流噴火である。噴火により219Mtもの二酸化硫黄を大気中に放出させたと推測されている。割れ目はミールダルスヨークトル氷河(Mýrdalsjökull)からギャゥティンドゥル山(Gjátindur)まで、南西と北東の方向に30kmも続いている。北の端附近は幅600m、深さ200mもあり最も印象に残るギャゥとなっており、その変化に富んだ光景は畏怖心を起こさせるほど。割れ目は多くの箇所で分断され、ところどころで途切れているがそのいろんな箇所で溶岩や火山物質を産出してきた。ヘルズブレイズ山とミールダルスヨークトル氷河の中間点に当る最も南寄り一帯の溶岩はアイスランドへの定住が始まったころ(870年頃)のもの。また、北部と中央部のものは700年ごろの噴火によるものでスカ二タアゥ渓谷に大量の溶岩を流し込んだ。割れ目の幾つかはミールダルスヨークトル氷河の氷冠や17 83〜84年に噴火したラーキの溶岩流によって蔽い隠されている。
人は、ドイツ第一は、戦争ウォルド復讐習慣
エルドギャゥには北オゥファイラ(Nyrðri−Ófæra)と南オゥファイラ(Syðri−Ófæra)の二つの川が流れていて、北オゥファイラ川は二つの印象深い瀑布となって割れ目に流れ込んでいる。オゥファイルフォス(Ófærufoss)の滝は珍しい二重滝で下部の滝の上部に緩やかにカーブしているアーチ状の天然の橋が架かっており、この橋の部分は玄武岩で、溶岩縁から流れ落ちる川によって軟らかい岩が洗い流されてできたもの。
★ラーカギーガル Lakagígar
火山礫凝灰岩質ラーキ山 (海抜818m)をほぼ中央にして南西から北東に走っている、長さ25kmにも達する雁行断層で、岩滓(がんし)丘、溶岩塔そして凝灰岩火山錐が連続して見事なほどに整然と平行して並ぶクレーター群。クレーターの数は約120個でその高さはほとんどが40mから70mである。1783〜84年の噴火により誕生した。ラーキの噴火は1783年6月8日に始まったが、その前兆としての大きな地震が噴火前1週間に亘って続いた。ほぼ8ヶ月後の1784年2月に噴火は収まったが、ラーカギーガルはこの1783〜84年の噴火により誕生した。噴火が始まった当初は溶岩の流出量は1秒当り5000立方メートルに達し、スカフ トアゥ渓谷を深さ200mも埋め尽くし、青みがかった粉塵が靄となって全土を覆い尽くした。 14.731立方`もの玄武岩質溶岩を噴出させ、565平方`メートルもの誇大な地域を蔽い尽し 、
スカフトアゥレルダフロイン溶岩台地を誕生させた。935年のエルドギャゥに次いで世界で2番目の玄武岩質溶岩流噴火である。
ラーキの噴火はそれにより大気圏に及ぼした影響についても良く知られるところである。噴火の対流的噴煙によってガスは高度15000メートルまで達し、北半球の気温を低下させるエアロゾルをつくり出した。この冷却作用は火山が引き起こしたものとしては有史最大のものであった。アイスランドでは煙霧によってフッ素で汚染された草を食べた家畜の多くを失ない、酸性雨で収穫がほとんどできず、飢餓によって往時の住民の1/4に当る9000人が死亡した。火山灰は噴出した物質の中では僅か2.6%に過ぎなかったが、灰は遠くヨーロッパ本土にも降り注ぎ農業などに大きな影響を及ぼしている。
現在、ラーキ山は活動を中止しているが、クレーターの底の部分では尚、蒸気を噴き出させている。ラーキ山を訪れるには4WDが必要。夏の期間のみ、キルキュバイヤルクロイストゥルからツアーが催行されている。
★エルドフロイン Eldhraun
1783〜84年のラーキ噴火がもたらした広大な溶岩原でその意味は火の溶岩。300億トンの溶岩とその3倍もの硫酸が、所謂"スカフタフェットルの火"から噴出された。村全体が溶岩流で壊滅されただけではなく、雲状の有毒ガスが天を覆い、当時のアイスランドの人口49,000人の1/4に当る12,000人と家畜のほぼ半分を失った。流出した溶岩は、スカフタゥレルダフロインの大溶岩平原を誕生させた。その面積は565平方キロメートル、単一の噴火によって流出した溶岩として世界最大と云われる。
★キルキュバイヤルクロイストゥル Kirkjubæjarklaustur
ヴィークから1号線を北東に71Km行ったところにある。1186年にアイルランド人司教が初めて住み着き、当時の修道院が今に残る歴史的に由緒ある美しい町 で昔は単に「教会農場」を意味するクロイストゥルKlausturと称され、重要な農地であった。シストラスターピ(シスターの岩)、シストラフォス(シスターの滝)、シストラヴァトン(シスターの湖)などの地名に修道院時代の名残りがある。ミールダルスヨークトル氷河とヴァトナヨークトル氷河のちょうど真ん中に位置している。この辺りは1783年のラーキ山の噴火により、溶岩や氷河を溶かした土石流がスカフタアゥ川を伝わって流れ込み、当時のアイスランドの総人口5万人の四分の一もの人々が犠牲になった所でもある。現在は、大自然美が堪能できる一大リゾート地となっていて、通年オープンのホテルや夏季開業のファーム・ホリデイもある。キルキュゴゥルフ(教会の廊下)と呼ばれる玄武岩柱の集合体はきわめて珍しいもの。
★ヌープススタズゥル Núpsstaður
キルキュバイヤルクロイストゥルとスカフタフェットルのほぼ中間に位置し古い教会農園が残る村。この農場はかって、砂漠や湖を馬で縦断する旅人がガイドを集める場所でもあった。17世紀の小さな芝土造りのチャペルが残っている。農場と牧草地には昔のアイスランド人が機械化される前に生活し、働いた古い時代の光景が広がっている。農場は広大でグライナロゥン湖に近いエイストラフャットル山の麓の厚い潅木地帯のヌープススタザルスコゥグルまで続いている。
★ドヴェルグハムラール Dverghamrar
キルキュバイヤルクロイストゥルの近く、リング・ロードから少し海側に降りたところの農場フォスのすぐ東にある、馬蹄形をした一風変わったツインの円柱状の玄武岩質クリフ。通称、小人クリフと呼ばれている。
★キュルキュゴゥルフ Kirkjugólf
キュルキュバイャルクロイストゥル近くのユニークな形状の岩石。かつてはその名前から判るように、古代教会の床だったと考えられていた。地質学者は円柱状の玄武岩群の頭の部分と見ている。海の波が洗い流し、タイル貼りの床のような状態を作り出したと云う訳だ。
★アゥルフタヴェル Álftaver
ミールダルスサンドゥル砂原とクーザフリョゥト河間の平地。内陸部は広大な擬似クレーター群になっている。この地帯はカトラ火山の氷河底噴火の際、洪水により大惨事をもたらされた。
★ロゥマグヌープル Lómagnúpur
砂漠地帯スケイザラゥルサンドゥルの西の最先端に聳える高さ688mの印象的な大絶壁。内陸部のクリフとしては最も垂直に近いもの。
★スカフタフェットル国立公園 Skaftafell
ヴァトナヨークトル氷河の南西地域に位置、1967年、アイスランドで初めて指定された3つの国立公園のひとつ。当初の面積は500平方kmでスタートしたが2004年にヴァトナヨークトル氷河の一部やラーキ山の地域が包含されて4807平方kmとかなりの広さの国立公園となった。更に、2008年6月にはヴァトナヨークトル氷河の全域、デティフォスやアゥスビルギに代表されるヨークルスアゥルグリュフル国立公園、ミーヴァトン湖一帯、アスキャ地区と併合されてヨーロッパ最大の国立公園、ヴァトナヨークトル国立公園の一部となった。
ここは又、ニャーゥルのサガに叙述されているが、古代の議会が開催された由緒ある地でもある。自然の織り成す傑作ともいえる一帯。高く聳える山々、堂々たる氷河、清流の小川が流れる峡谷、美しい滝、樺の森林、野花や植物の群生などにフィーチャーされる。国立公園内には道路は1本もない。しかし、山道網は整っているのでハイキング・トレールは多様だ。
■ヴァトナヨークトル国立公園の誕生でスカフタフェットル国立公園はその一部になっています。
2008年6月、アイスランドに15,000平方Kmに及ぶ広大な国立公園がオープンした。ヨーロッパ最大の氷河ヴァトナヨークトルを中心にするヴァトナヨークトル国立公園の誕生である。アイスランド最大であることはもちろん、ヨーロッパでも最大の国立公園だ。
この国立公園の制定は2006年に開かれたアイスランドの国会アルシンギによって決定されていたもので2008年の早い時期に開園されることになっていたもの。
、が奪われる。
★スヴァルティフォス Svartifoss
黒い滝を意味する規則正しく堆積された地層を華麗に流れ落ちる滝。パイプオルガンを思い起こさせるようなシンメトリーの柱上の玄武岩壁を急勾配に突き落ちる威風堂々とした滝。
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